ホーム > Special > ニュルブルクリンクコラムVol.2
全長20kmにおよぶニュルブルクリンク北コースにあるコーナーの数は、細かくカウントすると大小あわせて150個以上。そんなコースのコーナーすべてを覚えているレーサーやテストドライバーの方々には本当に感心させられます。
そもそも自然の地形を利用したレイアウトなので、むしろストレートの方が少ないのですから、コースを覚えるのは至難の業。一部の自動車メーカーでは、ニュルブルクリンクを走るテストドライバーの育成にプレイステーションのグランツーリスモを導入し、最低数百ラップしてからでないと実車でのコース走行を認めないルールを持っているそうですが、それもうなずけます。
コースを熟知している人達同士の会話には「●●コーナー」とか「△△コーナーの先、2つ目の右コーナー」などという表現が良く出て来ます。150以上のコーナーすべてに名前が付いているわけではないので、こういう表現をするしかありません。
名前が付けられているコーナーは全体のごく一部なのですが、それでも30個近くはあります。それだけでも丸暗記するのはひと苦労ですが、それぞれがヒストリカルな由来を持った名前だということを知り、ただ単純に覚えるだけでは勿体ないなと思いました。
そこで今回は、ニュルブルクリンクGmbHから公式解説がリリースされている29個のコーナーの名前の由来を2回に分けてご紹介することにしました。
名前の脇にあるキロ数は、ニュルブルクリンクのパブリック走行用エントランスを基準にした距離となっています。
00km地点 Antoniusbuche
その昔この地に立ち寄った聖者・St.Anthonyを祀る聖堂に向けて、ここに沢山のビーチツリーが植えられていたことからこの名前が付きました。ビーチツリーはコースの左側に植えられていましたが、1935年に切り倒され、現在コース脇を通る一般道・B258線が建設されました。直訳すると「アントニオ ビーチ」となります。
03km地点 Hocheichen
直訳すると「高いオークの木」。コースが建設される前、この辺りには巨大なオークの木(日本で言う楢(なら)の木)の森があったことからきた名前です。この森の一部は伐採されました。
04km地点 Flugplatz
直訳すると「離着陸場/飛行場」。その昔、コース左側にグライダー用の離発着場があったことからこの名前が付けられました。走行中のマシンが浮き上がる、ジャンプスポットとしても有名です。
05km地点 Schwedenkreuz
ニュルブルクリンクの南南西に位置するKehlbergの市長で、Adenauの税徴収権も持っていたHans Friedrich Datenberg氏が、1638年にこの場所でスイス軍の脱走兵により殺害されたと言われています。この史実を記録する2.9mの石の十字架が近くにある(今もあります)ので「スウェーデン十字架」という名前が付けられました。
06km地点 FuchsrÖhre
北コースのこの部分を建設中、一匹のキツネが誤って工事用配水管の中に飛び込んでしまい、工事が一時中断するという事がありました。コースが完成後、建設に携わった作業員達が、自然とこの場所を現在の名前で呼ぶようになったそうです。直訳すると「キツネ穴(またはチューブ)」となります。
08km地点 Kallenhard
このセクションは、木に囲まれたHartという名の丘だったのですが、実際の状態は藪と茂みで出来た荒野というべきものでした。それでいつしか"kalt und kahl"(寒くて何もない場所)と呼ばれる様になり、現在の"Kallenhard"という呼び名が生まれました。
08-09km地点 Wehrseifen
名前の中にある"Seifen"はキルト語で"谷"を表す言葉で、この谷は民兵の宿舎および練兵場として使われていました。その為、この場所はその昔、AdenauとBreidscheidの領主間で国境の一種に位置づけられていました。その当時は、境界を示す石が敷かれていたと言います。
09km地点 Ex-MÜhle
ここに以前、Adenauの外側("ex")に位置するミル("MÜhle"/水車小屋)があったことからこの名前が付けられました。当初のコース建設計画では、この場所をスタート/フィニッシュ地点にするはずでしたが、水車小屋のオーナーが建設に必要な分の土地提供を拒んだため、現在の様になったそうです。この場所は「ジュネックベンド(またはジュネックコーナー)」とも呼ばれています。この呼び名は、1928年にチェコ人ドライバー・Victor Junekがここで起きた事故で命を落としたことに由来しています。